1-2 存在への問いの形式的構造

問うこととは一体何か?
 →問うことと言うのはつまり探求することである。

探求についてはハイデガーはこのように述べている

「探求することは、探求されるものの方から先行的にその方向を定められている」

 詰まるところ,疑問が提出されたときに,回答の方向性がある程度定まっていないものは,その方向性が定められていない,ということである。

1-1で述べられたように,「存在とは何か?」という探求には,上記の理由から問題がある、とハイデガーは考えているのである。

その問題点とは

・「存在とは何であるか」この「ある」について我々は概念的に捉えておらず,規定されていない。

 わかりにくい説明になるが,「what is being?」とすると見えやすい。
 存在(being)はisの変化したものであり,この問いをするのであれば,isとbeingの違いを明確にしなければならない。しかし,まずisとは何か,を規定していない。

・存在が問われる際に,問いかけられているのは存在者自身。しかし,存在者は多様なあり方をしており,様々な態度をとっている。

 これについては自明の理か。そこまで説明を要するものではないが,1-1の通り,あることがすでにその存在している側に内包されている。

ここで解決しなければいけないのは,

1,いかなる存在者から出発すべきか?
 1-1,この出発点は任意のものか?
 1-2,特定の存在者は他の存在者よりも優位なのか?

という疑問点を解決しなければいけない。

ハイデガーが提出した,存在者は

問う者それ自身である。つまり存在者である自身を先行的に明らかにする

と規定している。
 
ただ,ここで存在を問うさいに自身を設定することは、循環論証になるのではないか,と疑問点が提出される。
つまり,Aという存在者の定義をBとしたとき,Bという定義が存在しなければいけず,その存在を定義しなければいけない。というように,循環していく。

これについて,ハイデガーはそうではないという。

存在者の前提として「存在していること」であり,一方で「存在」はすでに了解されている。
つまり,存在者の中には『存在』の了解が含まれており,

・存在者を問うことで,存在から解答が示される一方で
・存在を問うことで,存在者から解答が示される。

それ故に,存在者を問うことは,先行的に存在に関連付けられ,優位性を確保しているのである。
というのがハイデガーの主張である。

本日の要約。

問いには解答から先行的に方向を示される。

存在者には先行的に存在が了解されている。

それ故に,存在者を問うことは,存在の方から方向性を示される。

ということを言いたいのである。
それ故に,存在者をまず問うこと,それが存在への手がかりとなる。

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