1-4.存在問題の存在的優位

本節で語られているのは,存在を何によって解釈していくべきか,という点であると考える。

ここでの構成は,

1.学一般と命題の関係

2.実存の役割

3.現存在と実存の関係

の3点に絞られる,と思われる。

まずは

1.学一般と命題の関係

まずは学一般とは,というところになるのだが,実はこの節では説明されていない。次いで言うと,言葉としても定義されていない。

なので,私個人の定義になるのだが,キケロの「哲学はすべての学の母である」という言葉を見つつ,存在を存在論的に探求するために利用される,学問一般である,としたい。

例えば,心理学はここのあり方や,何らかの状況に対しての諸態度を探求する学問である。この学問の母が哲学であるのであれば,根源的に心理学は哲学と言える。

つまりここで言う,学一般とは哲学のこと,といっても良いだろう。
あくまで,存在を探求するための哲学,だが。
 
それでここで言われているのは学一般と命題の関連性である。

命題(めいだい、英語: proposition)とは、論理学において判断を言語で表したもので、真または偽という性質をもつもの。

というわけである。ハイデガー曰く「命題には人の諸態度や存在者としての人を規定しるものを含む」と述べている。
  
命題の根拠付けは,何によってなされるのか? それが学一般である,とハイデガー述べている。 それ故に,命題が存在者を規定しているので,学一般も存在者の存在様式を規定するものである,と考えられている。

ここで,ややこの本題から分かれるのだが
文章通りに読み解いていくと,現存在と存在者の関係について語られている。

A,B,C,Dの現存在があるとき,現存在AはAという存在を了解することは可能である。しかしながら,B/C/Dについては存在を了解することはできない。
ここはデカルト的でシンプルなのだが,私は私を知っているが,他人については確信を持てない,ということを言っている。

それ故に,存在者Aには現存在Aのみが開示されており,そのほかの可能性については開示されることがないのである。

ここから,ハイデガーは,現存在が存在を了解しているが故に,存在論的に現存在が存在している何よりの証左である,と述べている。

あたりまえ? 了解される,というところがポイントである。
了解には解釈が伴う。解釈には意味づけが伴う。意味づけには命題が伴い,命題が我身であるための根拠には,学一般が必要となり,了解が発生するために,逆説的であるが学一般による担保が必要である。ということを難しく述べているのだ。

2.実存の役割
じゃぁその了解というのは一体何か。

それが,実存である

実存とは,辞書を引くと,ただそこに在ること、という意味しか引けないので,あまり辞書は役に立たない。

実存とは,現存在が自身への態度や,常に何らかのしかただ態度をとっている。それ自身、そして存在者の本質は自らのものとして,自らの存在でなければならない,とハイデガーは述べているわけだが,難しい。

シンプルに言えば,
私は,何らかの態度をとっていないことはない。
例えば,今パソコンの前にいるわけだが,なぜパソコンを使えているのだろうか? それはパソコンに対してどのような振る舞いをすれば、どのようになるのかを知っているからである。
また,目の前にコーヒーがあったとして,飲まないという態度と飲むという態度をとることが可能である。ただこれはコーヒーという実存を了解しているときなのだが,それは別の問題か。

というように,何らかの世界への関わり方を常にしている。これを態度としている。

とするならば,何らかの仕方である,すなわち実存はこうしたあり方なのである。

で、現存在と存在の関係性はすでに述べてきている。
今までは存在→現存在であったが,この実存は現存在がどうあるか,という問題であり,現存在→存在,の方向である。

この→をになっているのが実存なのであり,その役割なのである。

3.現存在と実存の関係

実存が世界の関わりかたへの態度とした。ここで,現存在との関係をもうすこし詳しく見ておくべきだろう。

ハイデガーは相変わらず唐突であるが,
実存の問題に次いで述べている。
先に見てきたように,現存在と実存には密接な関係がある。
しかし,現存在が,己自身であるかどうか,その可能性について己自身から理解しているのに対し,実存は自らつかみ取っている,と述べている。

言っている意味がよくわからない。
けれどもあえて解釈していくのであれば,現存在とは世界にほおりだされた存在である。一方で実存は世界への態度になるので,現存在自身はそのままであるが,実存はその態度を通じて己自身を理解していくほかない。

意味がわからない??
石ころは石ころ(現存在)なのだ。それを持って投げることで,殺害する道具にもなる(実存A)し,遊び道具(実存B)にもなる。でどうだろうか??


さて、では実存の問題はどうなるのだろうか?
それは「現存在の一つの存在的な関心事」と述べている。
ここで言う関心事は,ある実存というのではなく実存全体に関わる関心事(実存性)であり,それ故に,現存在には実存論的分析論としての課題を持っている。
というのがハイデガーの主張である。


まとめ
現存在=諸学の存在の仕方である。
現存在とは本質的に,世界内での存在である。それ故に,存在了解の内容は「世界」と近しいもので,他の存在者も近しいが故に,現存在によって基礎づけされる。

それ故に,存在の意味を学的に解釈することが,課題になるのである。

注釈
1.存在的優位
存在者は実存によって規定される。それ故に存在的な優位を持っている

2.存在論的優位
現存在は己の存在において存在的・存在論的に優位である。また,現存在によって全ての存在者の実存が了解される。それゆえに,存在問題は存在論的な優位を持っている。

ここだけ読んでも。
私「存在問題って何だったんですか?」

ハ「存在と現存在の関係性を見なさい」

私「実存が必要なんですね?」

ハ「その通り。現存在は自らで問題解決ができる。しかし実存は世界への何らかの態度によって規定される。ここで現存在自身を探求できるのか?」

私「自らで問題解決しているならば難しいですね」

ハ「その通り。まずは実存の探求。それ故に,現存在の問題は実存論的分析論の問題であり,解釈していくのが必要なのだ」

はぁ??? 



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