1-1 存在への問いを表立って繰り返すことの必然性
この節は,存在と時間への導入に当たる節である。
それ故に,困難なことは書いてはいない。
だが,問うことはアリストテレス・プラトン以降の哲学の問題とはならなかった。
なぜだろうか?
存在とは,あらゆる人が絶えず用い、それが何を意味するか理解している。
つまり,
そりゃぁ、ね。自分が存在していることに疑問を提出する瞬間はあれども,それが常になのか? と問われるととても疑問が残る。というか答えることが出来ないのである。
むしろ,存在していることが疑えるのか,という問いも出てくる。
ライブニッツあたりが,「世界五秒前誕生説」という思考実験を行ったが,
5秒前に存在していなかったことを肯定することは,そもそも認識できない。
そんなわけで,存在を問うこと,というのは
自明すぎて仕方が無いため,長いこと放置されていた。
補足)ハイデガーに寄ればヘーゲルが再度している形跡がある。
形跡菜だけで,アリストテレスと同じところで止まっている,といっている。
さて,
ハイデガー曰く
「存在は最も普遍的で、最も空虚な概念であると言われている」
そうなのだが,
次の三つの理由から,らしい。
1.存在は,最も普遍的な概念である
(普遍とは最も明瞭というわけではなく,曖昧である)
全てを超越しているが故に,それを規定することができない,という意味。
2.存在という概念は定義不可能である
(存在はいかなる性質も与えられず,存在者に帰する)
りすはりす以外にはなれない。人間は人間以外になれない。
しかし,この二つは存在している。
りすがどのような存在かは定義できるし,人間がどういう存在かは定義できる。
しかし,存在がいかなるものか,ということは定義できない。
Aが存在している,というときに,その存在の性質はAである。
ただし,存在の性質はその対象によって異なり,定義できない。といえる。
この定義についても,それらの存在を前提にしているため,それらの存在するものに帰って行くのである。
3.存在は自明の概念で,ただちに了解される
(あることを理解する前に,あることを理解できない)
正直,1・3はわかる。2はなんとなくわかる。
定義しようにも,人間の存在のように,存在している対象を定義せざるを得ない,ということだ。
ただ,このように疑問を提出しても,そもそも問いが間違っているんじゃないか,というのがハイデガーが提出した回答である。
つまり,存在とは何か,と問うこと自体が間違っているのではなく
「存在とは何か」という疑問の起こし方が間違っている,といっている。
本日はここまで。
でも,あまりにあたりまえすぎて議論されなくなったんだ。
・ハイデガーの主張
そんなわけないわ。。。
そもそも「問い」が間違っているのだから、答えは出てこんわ。いいわけすんな
まずは,「問い方」から考えて行こうや。
それ故に,困難なことは書いてはいない。
・存在を問うこと?
存在を問うことは,古代ギリシャでは良く行われていた,らしい。だが,問うことはアリストテレス・プラトン以降の哲学の問題とはならなかった。
なぜだろうか?
存在とは,あらゆる人が絶えず用い、それが何を意味するか理解している。
つまり,
ハイデガーは存在について,アプリオリ的な概念としている。
と存在と時間では読むことができる。そりゃぁ、ね。自分が存在していることに疑問を提出する瞬間はあれども,それが常になのか? と問われるととても疑問が残る。というか答えることが出来ないのである。
むしろ,存在していることが疑えるのか,という問いも出てくる。
ライブニッツあたりが,「世界五秒前誕生説」という思考実験を行ったが,
5秒前に存在していなかったことを肯定することは,そもそも認識できない。
そんなわけで,存在を問うこと,というのは
自明すぎて仕方が無いため,長いこと放置されていた。
補足)ハイデガーに寄ればヘーゲルが再度している形跡がある。
形跡菜だけで,アリストテレスと同じところで止まっている,といっている。
さて,
ハイデガー曰く
「存在は最も普遍的で、最も空虚な概念であると言われている」
そうなのだが,
次の三つの理由から,らしい。
1.存在は,最も普遍的な概念である
(普遍とは最も明瞭というわけではなく,曖昧である)
全てを超越しているが故に,それを規定することができない,という意味。
2.存在という概念は定義不可能である
(存在はいかなる性質も与えられず,存在者に帰する)
りすはりす以外にはなれない。人間は人間以外になれない。
しかし,この二つは存在している。
りすがどのような存在かは定義できるし,人間がどういう存在かは定義できる。
しかし,存在がいかなるものか,ということは定義できない。
Aが存在している,というときに,その存在の性質はAである。
ただし,存在の性質はその対象によって異なり,定義できない。といえる。
この定義についても,それらの存在を前提にしているため,それらの存在するものに帰って行くのである。
3.存在は自明の概念で,ただちに了解される
(あることを理解する前に,あることを理解できない)
正直,1・3はわかる。2はなんとなくわかる。
定義しようにも,人間の存在のように,存在している対象を定義せざるを得ない,ということだ。
ただ,このように疑問を提出しても,そもそも問いが間違っているんじゃないか,というのがハイデガーが提出した回答である。
つまり,存在とは何か,と問うこと自体が間違っているのではなく
「存在とは何か」という疑問の起こし方が間違っている,といっている。
本日はここまで。
本日の要約
存在についての疑問は,昔は議論されていたんよ。でも,あまりにあたりまえすぎて議論されなくなったんだ。
・ハイデガーの主張
そんなわけないわ。。。
そもそも「問い」が間違っているのだから、答えは出てこんわ。いいわけすんな
まずは,「問い方」から考えて行こうや。
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